heartbreaking.

中年の末路とその記録

心が病んで会社を休んでいた二日間はなんとなく介護が欲しいと思うこともあった

仕事を二日休んで心が弱って動けなくなっている時、風呂も入れず眠れもせず目だけ閉じようとすると、うっすら怒りを感じていた。なんでこんな人生を歩んでいるのか、そう思うことは多い。子供の時にこのなぞ解きが出来ていたらミステリーだなと思うほど、イイとこなしの大人になってしまった。

キレやすい性格が災いして何かにつまずきかけた時、一時的に部屋に引き篭もっているといい加減な気分になってくる。ベッドに横になっても疲れがとれない。ただ、頭の中で嫌な囁きが始まれば危険信号だとわかっている。

こじれて拘り続けざるを得ない記憶がこの体を動けなくさせる。そうして目を開けているのか閉じているのかも判別つかず部屋は体と同化し闇の塊となる。その中で雁字搦めに捉えられた心が、排泄以外の活動を停止させようとする。こういう時、原因が心の病でも自分を介護してくれる人は必要だと思った。

悪い出来事は自分の心を洗脳し構築する。その時、この身に起こっていた事実が月も出ない深夜0時の暗闇でも、それを言葉で伝えるのは難しく、自問自答の日々に脱力感で頭が可笑しくなってしまう前に少しでも遠くへ囁きの届かぬ所へ行かなければ……逃亡を続けるがこの体が行き止まりで、心の手で両耳を塞いでも、野蛮な奴らに無残にこじあけられたままの扉は閉じることは出来ない。その中にいるのは自分にトラウマを植え付けた人だとわかっている。その人から逃げ続けていると人のカタチが溶けていって色もわからない何本も触手を持つ目も口もない未知の生物へと姿を変え尚もこの心を蹂躙しようとする。自分を傷付けた人がニンゲンではなかったことに気付きたくない、頭がだんだんおかしくなってくる。過去は壊れたレコードのように回り続け、やめろと強く叫ぶほどに近付いてくる。すべての活動が記憶の下敷きの上を同じ文字をずっとなぞっているだけのようだ。記憶の養分となり、培養する私は体をまるめ抵抗するしかない。

終わっていないどころか人生が大きく狂わされているというのは、言い訳なのか真実なのか、それについて考えることも拷問のようでたとえ正解に辿り着けても救われないし変えられない。明らかな失敗を体現したような日々の中、常識すら抵抗したくなる、奇麗事を言う人が本当に人の心を解かる人では無く、人のしあわせを素直に祝福出来るものが本当に優しいわけでもなく、目障りで耳障りなノイズだらけの世界でだんだん心が薄汚れ、新たな恐怖へと続く扉が開いている、深い嫉妬と殺意を抱いている顔が歪んでいる。太陽の下に蓄積された闇を爆発させる時が望んでいる未来であり最終目標だとは思いたくない。ネットに溢れるリア充の漏らす本音は現実世界の人々に紐づけてしまうともう何も信じることができなくなる、彼らには、弱者や底辺に生きる者を理解しようとする能力が著しく欠けている。大きな石を持って遥か頭上から弱者を殴りつけ、潰す人がいる。

ネットは意識し遠ざけることはできるが、現実では避けようがない。私の今日のささやかな幸福感を仕舞っておいた箱があっと言う間に踏みにじられ中身がごっそりその場に抜け落ちる。サンドバックのように心が打たれてボロボロになっても、結果の残せない私には努力が足りないのだときっと成功者たちは言う。限りなく続く妄想の世界で体全体に彼らの流した血が付いている。妄想の中で彼らの死を延々と積み上げてゆくことにも飽いた。仕事を休んで虚空を見ている時はチラ見したネットの誰かのリア充自慢すら地味に後から何度も殴りつけてくる、嫌味でも言ってやろうかと思ってみてもその時は文章打つ気力すらない。

二日仕事を休んだのでその翌週は穴埋めに連勤が続いたので、予約していた心療内科に行く時間は作れなくて、でも心が病むと本当に動けなくなって介護を求めるほどギリギリの状態になるので早く行きたいとは思っています。仕事は続けますが最悪の事態に備えておかなければならないと思うのです。暗くて失礼しました。金がないのでこんな記事ですがアドセンスを貼らせていただいて今日は終わりにします。