heartbreaking.

中年の末路とその記録

親の過剰な心配が重圧になって夜眠れない

過剰に心配され過ぎるのもなかなかしんどい。同年代は子育てにそろそろ区切りをつける頃だというのに私は…未だに親に心配されている。

50近い私がたまに実家に帰ると部屋の中はお通夜状態になる。延々と、現在の私の駄目さ加減を責め続ける親にうんざりしている。この間、私の仕事について散々文句を言われたところで別の仕事を探しているのだがその内容にも干渉してくる。「お前ならパソコン使ったもっといい職があるやろう」老人あるあるで、アマゾンで買い物出来るだけでパソコンのプロだみたいな勘違いがつらい…それに「いい職」なんてどこもないのでこうして職探しで苦労しているのに、未だに夢のような職場があると思い込んでいる親がいて話は平行線に終わる。

最後には必ず止めを言われる「お前のことが心配で毎晩眠れない」「いつになったらお父さんを安心させてくれるんや」「心配事の半分はお前が原因や」

…どうしろというのか私はこれまで精一杯生きてきた、これで一杯一杯でこれ以上は無理なのに。じゃあ私が死ねば貴方たちの心配事の半分はなくなるんだね、要は死ねということでしょ。私が生きていることが貴方たちの苦しみなら何故こんなのを生んだ。そしてこうなる前に何故、子供時代の私の異常に気付いて病院へ連れて行ってくれなかったの。世の中には私以下のカスみたいな悩みで手帳を持っている人がいるのに、何故私を普通の人として生きさせようとするの。私が普通じゃないって認めることさえも貴方たちの体裁を損なうからよしてくれとでも言うの。ちいとは話を聞いてよ、原因があるのにってキレそうになるのを我慢するので精一杯。目を合わすのも嫌になる。心の病気にまるで理解のない親を持ったのが私にとって致命的だった。マンションの隣の住人は会う度「僕は強迫性障害で」と言ってくる「手帳も持ってるんです」…私だって本当であればとっくにそうだった。普通じゃないって認めてくれ…私は普通じゃないんだ。

思えば高校卒業してから親の私に対する態度はずっと同じで時が止まっている。20代前半は実家に居てしばしばニートになりしょっちゅう喧嘩をした。職探しを親が制限してくるので就活に苦労した。簿記の資格を持っているので「お前は苦労して事務科を出たのだから事務員として働け」と事務職以外の仕事に行こうとすると許してくれなかった。通勤距離の長い職場を候補にしただけで「そんな遠いところへは危ないので勤めに行っては駄目だ事故でもしたらどうする」と強く批判され、残業をする仕事に就こうとすると「残業なんて駄目だお前の体が済んでしまう」と強く止められ、人間関係に悩みが多かったので夜勤を選びたかったが「人間は夜寝るようにできている」……どうしろと(そしてその干渉は離れて暮らすいまだに続いている)。求人情報誌を掴んで壁に投げたい日々だった。自分は事務職には興味ない、進路を完全に間違ったとおもいながら、実家に居る限りは親が「これなら」と思うようなお眼鏡にかなう職場しか選べなかったので、嫌々で事務職に就いていた。
事務職ってなんて陰湿なんだって思ってた。精神病んだ人間が働くとこじゃない。なのに親は私をそこへ行かそうとするので家を出て一人暮らしをしたが、自分は事務職しか向いてないという思い込みから逃れられず、どうせすぐ辞めるのにそこへばかり行った。簿記の資格なんか忘れてしまったし会計ソフトの時代に意味ない。つまらない遠回りばかりして、頭の良く回る貴重な若い頃を棒に振った。もっと勉強しておけばよかった。

私は親を安心させるために生きてるわけではないので…別に安心させなくてもいい。あんまりしつこく、この現在の駄目さ加減を責められると死んでくれとおもう。お互いが死んでくれと思っている。親がいつまでも過剰に心配しているのでそれが重荷で実家に帰るたび夜眠れなくなる。それでも私に出来ることは、一つだとわかってもいる。やはりそれは親を安心させるために、あと5年か10年は踏ん張って生きることだと。