heartbreaking.

中年の末路とその記録

君は君だけの違う人生を歩めばいい。

夜勤明けの朝は「お前誰なん?」てな感じで、鏡は風呂上りと出勤前しか見ないですが、あんまり長く見ていたい顔ではない。それでもずーっと首にくっついてる顔なんでコイツと付き合っていくしかないんですよね。

これ以上はヤバイよっていくら心で思っていても気付けば「思ったより大丈夫な自分」消え去ってるんです。ちょっとした油断で、ええ、不規則なリズムの生活はテキメンである日顔面が崩壊してます。風呂上りや、たっぷり睡眠とった後の「まだまだイケる」が「こんなもんか」になってやがて「あー駄目だな」になって恋愛とかそういうの諦めるようになる。酒でも飲むしかない。

鏡の中の自分は平面で、実際見られる自分はもっと立体的で、だから違うと思うんだよな、もっとこう…ブツブツ

たとえば素敵だなと思う人がいたと仮定して、でもなんもできないし自分にはする権利もない。いや、歳とると斜め下から見られると顔に不気味な陰影が出来て怖いんですよ。まあどの角度から見られても困るし、迷惑かけるかも、ブツブツ。そういう領域に入って違った風景が見えるようになった。手の届かぬものをただ見ているだけだった少女の頃のピュアな気持ち、こんなだったか。

そんな私にも素敵な恋の想い出があり、普段はそれを思い出したりしないですが、たとえば子供がいない自分てなんなんだろうな…と自分の存在価値について悩んで足場がグラグラした時「でも、あんな素敵な恋をした」「嘘みたいだ、夢みたいだ」そう私は奇跡を起こしたんだと自信に満ち溢れる。

残酷な時の流れとその中でひときわ輝きを放つ優しい恋の想い出達。サヨウナラではなく、こんにちは。時々これからも覗いてみるけど君たちは夢ではないよね?

不思議でしょ、若い人から見たらアラフィフの中年がなんで生きてるのか何が楽しいのかって。

大事なのは他人と自分を比べることではなく、自分自身の抱えてきた問題とこれまでどう戦い生きて来たか、それが自分を最も奮い立たせる生きる「意味」になる。

問題は解決しなくてもそれとどう向き合い、どれだけ戦い跳躍したか、0かマイナスだったかもしれないところからかなり跳躍したはずなのに、それなのに心が弱っているときは自分の成長を軽く見過ぎている。だから弱くなる。違うんだ、誰がなんと言ったって、信じられないくらい遠くまで来た。だからこんな風に、世界を見ることができている。これは誰にも見ることができない特別な景色だ。それって素晴らしいことじゃない…

たとえば恋愛がしたいとか、セックスがしたいとか、そういうことですらそんなに簡単ではないと気付くような人生だった。世の中にある当たり前って全然当たり前じゃないよなって…

劣っている部分があるからこそ、それを補うために人より努力できる。やれるだけのことはやった。君はどこからどこまで飛ぶ。誰がどうとか関係ない。 心が弱っているときは自分が失っているものを誰かが当たり前のように持っていてそれに嫉妬しているだけだったりするけど、人と違うからこそ素晴らしいんだ‼同じじゃないことが劣等感なんかじゃない、それを優越感に変えて、君は君だけの違う人生を歩めばいい。

そして傷付けられた痛みを知るからこそ、人に優しくもなれる。

たくさんのかけがえのないカケラを抱きしめ、これからはきっと同じように苦労をしてきた人達が力になってくれる。そして悩んだ数だけ手に入れたこの優しさで誰かの力にだってなれる。

自分は普通ではないと知った時、膝を抱えて立ち止まっていたらどうなっていただろう。

一番怖いのは人生の中で何一つチャレンジしないままで終わってしまうこと。大きなことをしなくてもいいから、小さな一歩が確実に自分を変えてゆく。一番大事にしてほしいのは何かをしたいと思う自分の行動意思で、次に大事にしてほしいのは一番近くにいてくれる誰か。たった1人でも味方がいればそれが引力になり生きてゆける。さあ頑張ろう…私はいつでもここにいます。