heartbreaking.

中年の末路とその記録

馬鹿でいい

非モテがジェンダーについて熱弁をふるうほどに現実の恋愛から遠ざかって行くのも無理はない。恋愛は理屈じゃ成り立たないからだ。恋愛は自由奔放に成り立っている。

恋愛なら馬鹿でも出来る。恋愛は馬鹿な方が楽しめる。ヘンに頭が良いと、愛の言葉ひとつもまともには伝えられないんだ。

愛は魔法だ。たった一人の人間に愛されるだけで、あたかも自分が全ての人類に愛されているかのような錯覚を感じるなんて・・

だからやっぱり愛されている人は「強い」。

貴方の身近に居る人たちが、力に満ち溢れて輝いているのは当然だよ。俺も、非モテの貴方も、そんな愛は未だ一度も経験していないのだから。

Hatena Bookmark - https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/2ccd6340022eed84fd9644c43596844a

goo blog funamushi2 - 2006-10-07 03:41:45 コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

コメント

1人の人間に愛されないだけで (ユタカ)
2006-10-10 03:04:12
愛は魔法だ。
たった一人の人間に愛され「ない」だけで、あたかも自分が全ての人類に愛されて「いない」かのような錯覚を感じるなんて・・・
だからやっぱり愛されたことのある人は「弱い」。
得た物が大きければ失う痛みも大きい。それを得たのは偶然だったのか、努力だったのかも分析できない。もしかしたら偶然の賜物であり、そして妄想だったかもしれない。
愛されても、愛されていなくても、力に満ち溢れて輝いていても、それは永遠ではないというのは全ての人に言えることなんじゃないか、と僕はあなたの文章を読んで思いました。あまり変わらないのだと思います。しかし、それを「ない」ものだと思い込み自由奔放に駆けずり回る理由にはならないと思いました。

ユタカさん、おはようございます。 (ゆがんだはしご)
2006-10-10 08:49:52
愛されている者が弱いというのは、恋人同士ではなく、親子関係に置き換えてみれば解りやすいかもしれないですね。
親子関係においては、親が子を甘やかすほどに・愛された子供は弱くなる、という状態が生まれやすいと感じられます。
だけど恋愛については果たして本当にそうでしょうか。親子関係ならば、これは選択の余地なくその親から生まれねばならない運命というものがあります。が、偶然の出会いからなる恋愛については、特にお互いが望んで得たはずの恋愛においては、愛されるほどに弱いなどというのは実に甘えた考え方だと思うんですよ。それ以上何を欲するというのか、そしてそんな愛を与えられてもなお足りないと言う人間ならば、結局何を与えられても満足できないのではないかとか。
永遠とかどうかではなくて、一瞬でもそれが与えられたという事が俺からすれば実に妬ましいというか許しがたいというか、非モテや俺のような何らかの肉体的欠陥を抱えた人間というのは、往々にしてそういった怒りの感情でもって、恋愛を嘆く人々を静かに見つめているのだと思います。
・・言いたい事をいってしまいましたが、でも感じ方は人それぞれだし、愛されすぎると弱くなるってのは確かにあるなと感じました。俺が静かに見つめているあちこちの恋愛ブログも、そうゆう弱い人が多いです。でもそうゆう人たちの悩みって贅沢ですよね。コメント有難うございます。


ただいまコメントを受け付けていません。