バツイチという言葉が軽々しく飛び交っているけれど(私もそんな軽々しさだったけれど…)。 本当に、無理だから… 好きとか愛してるなんかじゃなく家族なんだ、たった二人だとしても、もう他では二度とかなえられない運命で結び付けられた二人なのかもしれない、それを、諦めてしまうというのか…
今日は別居中の夫と久々に会い、今後どうするのかを (離婚届けの入った封筒をテーブルの上に置いたままで) ずっと話し合っていたが、結論はすぐには出せるわけがなく(離婚は… そんなに簡単に決められることじゃない)、二人の背景に流れている時間だけが悪戯に過ぎていった。気付けば窓の外はすっかり暗くなっていた。私はずっとうつむいて唸るように悩み続けていた。今日は無理だと思えたので話し合いを中断させ、夫と最後に軽く抱き合って別れ、今晩中に考え、明日答えを出すことで合意して帰ってきたが、答えを出せる見込みなど…… まったく、ない。
話し合いの最中、私の母から電話がかかってきたので出ると、「話し合いが上手くいかなくなったときは、お母さんが送ったメールを見せてあげて」と言われたので、なんのことだかよくわからなかった。…なんで?
母のメールを → 夫に見せる必要があるのだ?
フラフラと近所のスーパーに寄り、チルドのピザ2袋と、ネギトロを買ったりしながら、母からのメールを片手間に読もうとして、目が、画面にはりついてしまうかと思うほどの衝撃を受けてしまった………
○○さんには今まで娘を見守っていただいたと感謝をしております。母親としてはもう一度考え直してほしかったのですが残念でなりません。娘のわがままを許してください。陰ながら○○さんのご健康をお祈りしています。
な、なんなのだこの文章は……(真に迫りすぎると、ただ、恐怖しか感じなかった)
母は、私の不安定で、その日暮らしな生活をとても心配している。
いつも「お金は大丈夫なの?」と聞いてくる母に、「大丈夫だよ、まだ貯金があるから困っていない」と嘘を吐いているのだが、もしかして、この危うい生活に薄々気付いたのか…
夫と別居してからは潔癖症気味の私は、帰宅してすぐに身を清めるために風呂場へ飛び込むのだが、シャワーを浴びている間は普段通りだった。だが、湯船の中につかり両手で湯をかき混ぜている最中に急激に目の奥から、母が夫に謝りながら感謝の心を伝えるメール内容がよみがえってきて、そこから後はもう無理だった… 母にまた心配をかけてしまった自分が情けなくて、両手で顔をおおいながら声を出さずに泣いていた。何で母が、私の夫に謝る必要がある…… いくらメールの上だとしても母にそんなことをさせてしまった自分が情けなすぎて壊れてしまいそうな思いで、どうしても泣かずにはおれなかった。
別居をせず、我慢をし続け夫婦で暮らしてさえいれば…、きっと母は安心していたはず…
嘘でも構わなかった…
脚の悪い母のことをこれ以上苦しめたくない。
たまに実家に帰ると、いつも帰り際には父と母がそろって笑顔で玄関から出てきて、私が見えなくなるまであたたかなまなざしでみてくれている。そんな父と母の姿も、もう年金暮らしの影が差してどこか頼りないノイズまじりの絵画のようになってこの脳裏をよぎり、私の心をどうしようもなく不安にさせる。最後まで孫の顔すらも見せてやれず、私はただ親を苦しめるばかりで終わらせてしまうつもりなのか、安心すらもさせてやれずに…… 最悪だ… そこで二発目の悲しみが押し寄せてきてもうどうにも、いつもは楽しくくつろげるはずの風呂が、心が油断するあまりに、一人で反省会場みたいな状態に……
風呂場で泣き続けた。 だが、涙はいつまでも続かないから、涙が枯れたなら、結局は自分が進みたい道を選ぶのが自分のためなんだということに気付いている。自己犠牲の精神など、今の時代は流行らないさ、もっと思うまま生きればいいのに… だけどもう私の年齢がそれを許さない。今後も自分の望むとおりに生きようとするのなら、親には心配をかけ続けることになるだろう…
本当は、嘘でも構わないから、結婚生活を続けているべきだった… なんのために生きるのか、なんて考えることはしょっちゅうだけど、その考えをもつ時点で結構自分寄りな思考に陥ってしまっている。考えるべきなのは、自分のために生きたいのか・それとも誰かのために生きたいのかの二択なのだ。
風呂から出ると、ほぼいつも通りだった。