heartbreaking.

中年の末路とその記録

長いんですが……俺のだらだらした話に付き合ってくれますか?

だいたい11時間~12時間くらいは通常、立ちっぱなしでほぼ休みなく働いてるので、、かかとがこんなになってました。いや、むしろこれを見てガックリくるよりかは、俺よく頑張ってるなあと思って、誇らしいです。風呂は毎日入ってるんですけど……これ以上大きな亀裂にならぬようそろそろケアしたほうがいいんですかね。しかも巻き爪でもあるので、靴下の繊維が勝手に爪の奥に入り込んで、足ボロボロですよ。

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日曜日は休みなんで、朝8時くらいから、夜9時くらいまでほぼ寝てました。13時間寝ていて、夢を見ていたのか見ていなかったのか。

今まで見た夢で、一番起きてホッとしたのは、仕事を辞める夢だった。夢の中で工場で働いているんですけど、そこをなんでか退職して、俺は実家にいるんですよ。一人暮らししているはずが、10年以上の時をタイムスリップして実家にいて、そして母は無職となった自分を別に責めるでもなく、儚い笑顔で受け入れてくれる。それに不安を覚え、苦しくなった。このままでは駄目だとわかっていても堕落してゆくことを望んでいる自分へと、すべてを無かったようなことにして呑み込まれてゆく。目が覚めて、あれ?俺、無職だったんじゃね?と思って戸惑った。……仕事辞めてない、仕事辞めた夢だったんだ、ヨカッターと、馬鹿みたいに喜んでましたね。夢の中の駄目な自分が、現実の働けている自分に「まだお前はマシだ」と教えてくれたような気がする。

駄目な自分をおもいきり想像してみるんですよ。今よりもっと最悪な状況の自分を想像してみると、他人の輝きを見過ぎて、いつの間にか自分の求める幸せの基準値が高くなっていたのだなと。自分の中での精一杯で、それでいいと思うんで。

だけどこんな夢を見てしまうのは、仕事があって、納得しているはずが、心の奥のほうでは、そうではないのかもしれない。もっと遊びたいんだ!色々やりたいんだ!という気持ちがこんな夢を……

肉体労働を続けていると、体力の回復に非常に時間がかかる。せめて読書をしたいと思いながらも、その時はいつまでも保留。そして目が覚めると仕事に行かなければならない。信じられない速度で月日が流れて行く。こうしてブログを更新するくらいのことならば、そんなに疲れはしないので、俺が出来るのはここまで……

たとえば絵も描きたい。だけど絵を描くのは、文章を打つ以上にエネルギーを必要とする。

幼い頃描いた夢が消えていないのかもしれない。

子供の頃は、夢を聞かれると必ずこう言っていた。「デザイナーになりたい」

デザイナーという仕事がどういうものかよくわかっていないのに、疑いようなくそう答えていた。

だけど大人に近付くにつれ、それがただの夢だと気付いていった。印刷会社でデザインを手掛ける面接を受けて、実際の仕事ぶりを目の当たりにすると、怖くなって尻ごみした。面接は受かったけれど、その会社には行かなかった。だから夢はまだ壊されない。

夢を描くだけじゃ生きてゆけない。だけど俺はそういう具体的な努力をするのを避けてきた。

中年になって、体を酷使する労働で、一人暮らしで帰宅しても誰も迎えてくれる者もおらず、ただソファに座り、心の中で「これが望んだ世界だ」と繰り返しながら……

だけど休日、特に日曜日、スーパーに行くと、子供と会話しながらゆったりと店内を歩く主婦共を見るにつれ、悲しくなる。これが望んだ世界だとは思っていないことを気付かされる。

嗚呼、暗くなりましたね。いや、そこそこは楽しいんですよ。

今の職場は人間関係が良いほうだと思うので。小さなことを挙げればそりゃなんかしらはありますよ。誰にも聞こえないところで、いつも「あのババア邪魔なんやが!おかげで1時間も作業時間遅れとるやろが!」とか文句言ったりしてますしね。

そのババアとは違うんですけど、この間伝えた恐ろしい職場の先輩も、上司になにか警告されたのかな。最近また優しくなった。俺が困った時に相談すると、嫌な顔一つせずフォローしてくれたので。俺も休憩時間はオーバーしていなかったけれど、一服のためにちょくちょく作業抜け出していたので誤解を与えているのもよくなかったかなと思っているので、今は膀胱炎になるくらいまでトイレも我慢して休憩はなるべくまとめてとるようにしている。

普通の会社では、特に製造関係の工場などでは、そうは休憩行けないですからね。トイレ行く時間が休憩時間に含まれていて、さらにトイレが並び待ちだとすると更に実際の休憩時間は短くなり、休んだのか休んでないのかよくわからないような状態のまま、また作業に戻る羽目になりますがね。

体力的にキツイのとか、働く時間が長くなるのは、それはなんとでも耐えられるんですよ。ただ人間関係の悩みだけはどうにもしようがないので。今、上手くいっているとしても、いつ人が入れ替わるかもわからないので、いつまで働けるかもわかりはしないですがね。

話変わりますが、俺はこのブログで活動してきた中で、子供がいないので、子供のいる女性に比べたら意味がないのだというようなことも言われてきたような気がします。

最近、自民党の政治家が、また子供のいない人を傷付ける言葉を吐いて問題になっていましたね。

子供のいない人は意味がないのでしょうか。

そんな風には思いません。

炎天下の中、車内に閉じ込められた子供をガラスを割って救おうとしたら、戻ってきたその親に感謝されるどころか、たったこれだけの時間車内に放置しただけでどうにもならないだろうと批判を受けたというニュースで、生まれてくる赤ちゃん一人の命が、車のガラス一枚よりも重いのだということを書いていましたが、命が重いのは、皆、同じです。

誰が特別ということもありません。

俺が今思うのは、子供は残せないとしても、それ以外のことで、この世の中にいる誰かのために役に立つことをしていたい。この世の中にいる誰かのために自分のこの体が役立っているのだなということを実感しながら仕事を無事終え、帰路に着くだけです。

俺は今日も会社の役に立ったし、そして人々の生活のために役立つ仕事をしていて、世の中の歯車の一人に組み込まれている。

こんな自分のことを無価値だとは思わない。

自分と同じ努力をしていない人間のことを価値がないという風にしたいのは、何かを得ることで、自分を特別だということにしたい人たちが勝手に思い描いている傲慢な世界でしかないので、それに影響されることなく、極力そうした曲がった情報は避けて、よりよい精神状態を保つため、ネット上では特に情報を選択することが大事かなと思っています。