heartbreaking.

中年の末路とその記録

私も同僚も元ひきこもりだったから二人は上手くいっていた

バイトを見つけ、初日はなんとか働けましたが、

2日目以降そのバイト先に行けなくなった。自分が必要とされているのかよくわからないような状況の中、時間がどこまでも止まっていた。そんな動かない時間を思うとどうにも億劫で、部屋の中で布団を被ったまま、ただ時計の針に怯え動けなくなっていた。

普通の会社で自分が通用するとは思っていない。

私のような社会不適合が、2年半働けていたのは、一番近くにいる同僚が、元ひきこもりの人だったからだということを、最後に知ることになる。上司が最後に口にした「あの子は私が、元ひきこもりだった子を20年前に(親から頼まれて)引き受けてから、この会社の中であの子にしかできない役割を与え働かせていた」

一番近くにいる同僚は、元ひきこもりだった……そのことを知れば、はじめから、もっと寄り添うこともできた。上司の話を聞きながら、目の端に涙が溜まっていた。

ひきこもりである自分を克服しながら人に馴染もうと努力しているその人を私は傷付けてしまったこともある。気付いてあげられなかった自分を悔やんでいるだけです。

普通の人とは馴染めない私。そんな私がただ一人だけ心から打ち解けられたと信じていられた、そんな人だった。言葉を交わさずとも、空気を伝わり、心が通い合う。そしていつしか二人は傍にいるといつでも笑顔になれていた。大好きだったのかもしれない……

いままでどの会社でも出会ったことのない、温厚な性格の人でした。

あまりにも喜怒哀楽が少ないので(口数も極度に少なく、なにを伝えたいのかが、わかりにくいこともあった……)、最初のうちは心打ち解けるまでそれなりの時間が必要でした。途中で気が付いたのは、言葉ではなく、言葉以外のもので伝えあわなくてはならないことでした。私達は寸分たがわぬ作業をしている、たった2人の、かけがえのない仲間であり盟友でした。もうどんなに探しても、そんな仕事上の繋がりは今後得られないかもしれない。

その人にもう逢えないかと思うと、離れてしまった後の私にできるのは、ただ幸せを願うことばかりです。

もっと早く教えてくれていれば。いつだって優しくできていた。もっと親しくなれていた。

何故なら、私自身が元ひきこもりで20代のほとんどの時間を実家で忙殺しながら過ごしてきたからです。その結果が今の私です。私が普通じゃないから、普通じゃない過去を持っている人じゃないと通じ合わないのか……ということを、会社を去る間際にようやく気付いてしまいました。それは、今後の私にとって良いことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか、ともかく、普通の人とは言葉以外で通じ合うことはないということはよくわかりました。

その人の過去を知ってから、私にとって「どうしても守りたい」存在になりました。だから、この会社の中で守ってほしいと、上司に伝え、愛着のある会社を去ることにした。上司の瞳の中はまるで壮大な宇宙のような奥行きでした。それは私などが言わずともわかっているようでした。

会社を去る時に、最後に顔を合わせたのは、いつも何気ない挨拶を交わしていた社員の男性だった。私の、この会社に対する、ありったけの感謝の気持ちを伝えられるのはそれで最後だった。

駐車場を出る時、もう二度と来ることはない、故郷を後にするような心情だった。こんな私を2年半も受け入れてくれて、そしてこの存在を許してくれた皆さん……与えてくれた温もり、忘れない……

大事なものが自分の中からゴッソリ抜け落ちたような気分です。

私にパワハラを加えてきた高齢者は、

私と、そして元ひきこもりの人を、会社内から排除するため、あれこれ画策をしていました。

何故そうするかというと、私と、元ひきこもりの人がいつまでも作業に関わっていると、その高齢者の先輩も早く帰らなければならず、自分の給料が減ることになるからだということはわかっていました。

けれどこの高齢者に誰も強く言えるものはいなかった。

少なくとも私のいる部署では。皆がこの高齢者の言いなりとなっていた。

勤続年数が長いため、上層部に私たちの要望を伝えてもらえるおかげで仕事環境を改善してもらえた手前もあったため、強く言うことはできずにいた。

そのため私は、この高齢者と慣れ合いの関係に近い上司ではなく、まったく別の部門の、私達の作業にはまったく関係のないところにいる上司にこの事実を伝えた。その人が、元ひきこもりだった人を立派に社会復帰させて会社の中で活躍させていることを知り、私がこの上司に思い描いていたことはすべて現実だったと知ることになりました。

その上司は、私が心身共に弱っていることに配慮した上で、明らかなパワハラを私に集中して加えてくる高齢者から引き離すために、私にとって最良の道を作ってくれたのです。

わけありの過去を持つ人でも、差別せず、その人の能力を活かすために雇おうという精神を持っている会社は、まぎれもなく良い会社だと思います。

道理でいままで勤めたどの会社とも違った雰囲気を持っていました。

弱者に理解があるというか……

私のように性格の変わった人間であっても、その長所を生かせる場所を与え、給料も福利厚生も含めてバイトとは思えないほど手厚い待遇を与えてくれていた。

なので私も(当たり前ですが)仕事だけは真面目にやっていました。

社会不適合が普通に働くためには、普通でないところを理解した上で、成長を見守ってくれる、そんな会社を今後も見つけだしてゆくしかない。何処にある、そんな素晴らしい会社……もう二度と、見つからないかもしれない。

ひたすら部屋で宇多田ヒカルの昔の歌「どこか遠くへ逃げたららくになるのかな そんなわけないよね どこにいたって私は私なんだから(Wait & See~リスク~)」を聴きながら、沈んだ気分を上げようとしても、この心を不安にさせ掻き乱すのは、私について次々と投稿されている、私の生命を脅かしかねない爆サイ.comへの書き込みです。

確かに私は会社の先輩に誘われて3Pをしたりもしたが、その後、その先輩とはラインで和解していまは完全に連絡を絶っている。先輩の不幸など願ってはいない。そもそも3Pに参加したのは、YouTubeでも話した通り、先輩に幸せになってほしいからであり、自分にそんな欲望など微塵もなかった。

私は、駄目な人間で、駄目な自分を変えられるような強さもなく、いつも人に迷惑をかけてばかりですが、それでも、生きてゆかなければならないことがつらいです。