heartbreaking.

中年の末路とその記録

心療内科へ行ってきました……

心療内科へ行ってきました。背中を押してくれたのは、c71さんです。バイトをしなければならないと焦るばかりで、心身の療養をおろそかにするところでした。目先のお金も大事ですが、地盤である心を治療しなければこの先到底上手くいくとは思えません。

病院選びをする際に、何を基準に選んでますか。

先生の経歴を重視し、治療の専門分野に目が行きがちですが、それだけが正解ではないと思うのです。

私にとっての良い先生は、患者の話をどれだけ親身になり聞いているか。わからない部分にどれだけ質問をしてくれるか。どれだけの深度まで話を聞いてもらえるか。次の患者があるから数分で話を終わらす先生なんて必要ない。

先生に伝えたのは、主にパワハラが原因で退職すること、主婦と上手くコミュニケーションをとれず何処に行っても孤立することです。はじめからすべてを伝えるのは難しいので、直近の悩みからいってみました。処方された薬はレキソタン等です。

この、与えられた薬名に対して、特別な感情はあります……親や恋人より、この1粒のほうが現状の私にとっては、救いとなるのです。

薬が効果あるかどうかは、あると思います。

今、無職で暇を持て余しているので……イライラする要素はもともとなかったのですが、

死にたいと極度に思い詰めるようなことはなくなった。それは薬の作用もあるのだろうが、先生が与えてくれる光に全身を包まれている感覚が続いている。この精神の天高くから常に降り注ぐ優しい光。その安堵により、目覚めるたび、死が地平線彼方まで遠ざかっているのを感じる。

鉄格子の隙間からそっと手を差し込んでくれるのは……親でも、恋人でも、友達でもない、それは先生にしかできない。だからこそ私は先生の質に拘る。

自分が通う病院はなるべく自分で選んでゆきたい。一発で「合う」と感じる先生を見つけ出すのは難しいかもしれない。さらに周囲の看護師や事務員の質も重要だと感じている。

そこまではいい。問題なのは、周囲の人間をどう理解させるか。

リアルで近しい誰かに「悩んでいるので、とりあえず心療内科に行こうと思っている」と伝えても、なかなかわかってもらえない。やめさせようとしてくる。

周囲の意見を押しのけ、心療内科や精神科に飛び込み「これでもう安心だよ」と事後報告をしても、溜息をつかれたり、そんな奴とは思わなかったと失望されたり、何故そこまで思い詰める前に相談してくれなかったのか、お前はそんな病気なんかじゃないと非難されてしまうことも……(最近、この状態に陥ってました)

私がお付き合いしている人は認知症の親を持つため、「精神病の薬が与える影響はお前が思っているほど甘くない」「お前はその人たちとは違うから行く必要などないのに、何故わざわざそんなところに行く必要があったのか」という静かな怒りの感情をぶつけられてしまい、このことで、私は疲れました……

部屋に置かれた薬の袋は、なにより確実な安らぎであるのに、周囲を不安にさせるばかりで、

そうした中で信頼関係があっけなく崩壊してゆくのを感じている。

何故、この心が病んでいることを信じようとしないのか。肝心な部分について触れてこようとしない、周囲の臆病さが、私が心療内科へ向かわざるを得ない理由。

私はいままで精神病の人たちをたくさん批判してきた、そのことで、どれだけの人の心を追い詰めてきたか……

申し訳ありませんでした。ようやく得た安堵を、否定されることがこんなにつらいこととは……

大切な人が違ったなにかに変わってしまうのではないかという恐怖、そしてそれを今後自分が受け入れられるかどうかわからない葛藤があるのかもしれない。けれどそれは優しさではない。「いまのままでいい」「無理し続けていてくれ」と願う身勝手さでしかない。

誰にも言えなかったから、最後に病院へ行くのだ。

重い心の傷(トラウマ)を話せば概ね、誰もが、態度が豹変するのを目の当たりにしてきた。

親すら二度目以降はその話を拒絶する。

笑っていた異性たちは、その後妙に説教臭くなる。

いずれにせよ口を開こうとすれば尤もらしいことを言い始める。

どいつもこいつも、楽しい時だけニコニコして、大したこともない苦労を大げさに一方的にしつこく聞かせてくるだけで、こっちの話など聞こうともしない。そんなやつだらけだから、精神病になるやつが多くなるのさ……

重い心の傷(トラウマ)がある限り、何十年経とうが、新しい悩みに連動してこの心の中で悪戯をし、生きることを諦めさせようとする。

喧嘩している時、心の傷を引っ張り出して伝えると失敗する。

ニートの自分が親に向かって心の傷を吐き出してしまうと断片的に伝えて後悔する。

派生する様々な問題がノイズになる。

何処までいっても平行線だからこちらから終わりにする。

根源的な悩みは、親も恋人も意味を成さない。

誰もがこの話をただ一度きり聞いただけでわかったと思おうとする。

重い心の傷を語れる機会は同じ人に対し現実世界で一度きりしかない。

そのことに気付いたときには遅くて後悔しかない。

あの時もっと上手に伝えられたら。

結局、そういうことがあったという事実だけを相手が受け止めている。

それも軽く、けして重くはない。

だけど本当に苦しいと感じたことを伝える時は声がふるえてしまう、初めての時は泣いてしまう。

だから、説明する練習を人前で繰り返さないと本当のおそろしさを伝えることは出来ない。

二度目、三度目以降は病院に行って話すしかなくなる。

ただ駄目な人生を送っているのではなくそれには理由があるのだということを認めてもらいたい。

その証拠が欲しい。

実際それが原因で上手く生きられないでいることをわかってほしい。それをどうにかできるのは親でも恋人でも友達でもない、信頼できる先生だけなのだ。