heartbreaking.

中年の末路とその記録

心療内科の待合室は運頼み……

心療内科に通い、診断書を先生に書いていただいたおかげでなんとか生きていられるものの……困った時だけ診断書頼りで先生のところに行く癖が付いてしまった。そして診断書を必要としていない時は行かないので、1カ月くらい病院に通っていない。

抗不安薬は3週間くらい飲んでない。単に飲むのが面倒だというところから始まり、つい忘れていた、とか、まあ飲まなくてもいけるだろ的に過ごしていたところ、ここ最近急激に状態が悪化してきたように感じる。

でも飲んでいない。どうせ治らないだろ、と思っているから。手付かずの抗不安薬が入った袋が増え続けている。

薬を全然飲んでいないで過ごしていた挙句、先生に思わず言ってしまった。

自分はこの世の中に迫害されているのだと。

差別されているのだと。

それに対しての先生の返答は特になく、否定も肯定もなく、困った表情はしていた。

悩んでいることを相談をしに行くところであるのに、本当に大事な相談はまだ出来ていないような気がした。

けれど、悩みの種類にもよる。これは、これ以上は吐き出してはいけないような気もしていた。殺意を抱いている、というような悩みは多分、心療内科ですることではないんだろうな、病院間違えたかなというところです……

先生に自分の呪詛を吐き出した後、なんか微妙な空気漂ってる気がして、待合室に居ながら後悔した。先生も人間だし、仕事なので、いきなり、迫害されているとか言われても困るよな……なにをするためにここに通っているのかと。

子供のいる人たちに自分は迫害されて生きてきたのだ!という怒りは心療内科ですらもやり場などなく、そんなもの誰にも受け止めてもらえはしないことはわかっていた。レキソタンでこの症状が治せるわけがない。

心療内科にも、小さな子供を連れて微笑みながら主婦が通院をしている。

待合室で、自分が先に来ていて、その後でそういった人達が入ってきてこの目の前に座るとつい手を伸ばして頭を殴ってやりたくなる衝動との、ひたすら戦いとなるし、心臓がかなりバクバク鳴り出している。呼吸がやや困難になるほど頭が白紙状態に近くなることもある。

それは、人生を否定されたような燃え滾るような激しい屈辱との戦いだった。毎日殺害され続けているこの心を、どうやって守ればいいのかわからない。

なるべく、小さな子供のいる主婦は来ないでほしいです。子供のいない人間の抱える孤独はそんなものじゃあないです……そう、殴れたらどれだけいいでしょうか……頭を殴りたいです。貴方の幸せな風景が私の心をいま殺しました。これ以上殺さないでください。私だって幸せになれていたはずなんです、それは貴方じゃあないんです。思いきり顔面にこの拳をめり込ませてやりたいですよ。そんなことできるわけはないですけど、刑務所に入るのは困るんで。親が死んだ後はどうかわからないですけどね、誰も悲しむ人がいなくなってしまったら無敵の人ですから。歩道を歩いてる主婦めがけて車で突入したりとか、そういうのもあるかもなんで。そうならないように、そろそろ病院変えようかなとか(診断書の用ばかりで通っていたけど、もう肝心なことは相談できそうにない空気をひしひしと感じた)。通報しないでくださいよ、まだなんもしてないです。

今日は愛媛銀行のカードローンの返済日で、夜、カードと現金持ってATMに行き、お酒も買うことなく帰る途中、コンビニやスーパーに立ち寄る気力すらないのを感じた。たくさんの人から微弱な攻撃を加えられ続けながら我慢して笑っていたら思っていた以上に心がくたびれていた。独りになると、どうやって死ぬのかを考える。もうなにもできないような気がして。これから頑張る前向きな要因が一つもない。夜の道を独りで歩いていると、薄っすらと街頭から伸びた明かりが背中から自分の悲しい影を作り出していた。いつから、どこからこうなったのか、目の前でふらふらと揺れている肩が、影で見るとやけに滑稽で、自分だと信じたくない。こんな人間になる予定ではなかった。ガラクタだと言わんばかりに、悲しみを顕しているその本体を消したい、死にたい、死ねたらいいのにと繰り返しながら少し早歩きで、影から逃げるように、住んでいるマンションに駆け込んだ。エレベーターのボタンを押しても、ドアを開けて部屋へ入っても、不安でならなかった。ここでレキソタンを飲めばいいのかもだけど、飲む気になれず、この子供のいないことで迫害されてきた人生についてをきちんと聞いてくれる病院の出す薬でなければ飲みたくないのか、単に待合室で子供のいる主婦と遭遇する度この心を傷付けられたくないから病院と離れたいと思っているのか、どうかももうよくわからなくなっている。