heartbreaking.

中年の末路とその記録

存在感の薄さは気のせいじゃない……

人のことなど気にせず自分はささやかな幸せを大事にしていればそれでいい、作業に没頭しながら心に言い聞かそうとした。心の中で度々起こる「故障」を修復する作業をしていることに誰も気付きもしないが起きてる間中こうして作業していなければやがて本当に壊れて動かなくなってしまう。そんな心の欠陥だらけの人間は何度修復が完了しても、周囲の雑音で簡単にぶっ壊されているから、脳の中で修復作業にいつも追われている。だから他のことに割いていられる容量の確保が難しい、マトモにしゃべれなかったり、ヘンな人に思われていたり。原因は周囲の雑音の中にあることに誰も気付けない。嗚呼なんでこの世は雑音だらけなんだろう、なんで皆黙っていてくれないんだろう、自分で直さなければ誰にも治せない。……土足でこの心に踏み込んできた誰かの笑顔に切り刻まれるたび、自分はそのように無邪気な暴力をふるわずに済んだことを感謝すればいいのか。誰に感謝すればいい、オノレの運命に対してか。本当は誰を傷付けてもいいからもっと幸せが欲しいと願っている。だけどそれが叶わないとわかると途端に聖人ぶったことも言いだす。そうしなければこの人生がまるで無意味のように感じられて怖いからだ。もっと我儘に生きてみたい。額面通りのものを他人の前で伝えてもそれを表立っては誰も嫌悪できない、子供がいる人達のようにある程度世間に肯定された人生を。

この存在感の薄さは何だ。まるで存在していないも同じ、スーパーの中では完全に影となり、光を一方的に浴び続けている。見えない緩慢な暴力で溢れているこの世の中で、笑顔で人を傷付けていることが、実際に拳で殴りつけるよりも時に残酷であることを知る人はどれほどいるだろう。そのことに気付ける心を持つことに感謝したほうがいいのか。感覚がどこかで麻痺してしまうほど殴られ、誰かの眩き光の中で砕けてしまう。その破片をどんなに丁寧に拾い上げてもまた同じことの繰り返し。痛みを、標本のようにピンで丁寧に刺していった若い頃、そこにとどまることをいとわない選択をした。あの日、痛みがあった―その事実によって形成された自分が必死に言い訳を繰り返す。頭の中が言い訳ばかりになって息苦しい。理由があるんだってことを誰にも伝えられないことがこれほど苦しい。目に見えてわかりやすいことがさもすべての痛みであるかのように傲慢に振舞う人がなんと多いことだろう。そしてそれがすべてではないことを伝えられない自分はなんて無力なんだろう。―誰かの幸せがこの心に永遠に抜けない杭になった。いまでも抜けない。この手が届かない高い場所から笑顔で杭を打ち込んでいった人達にこの体と精神はとうの昔から醜く捻じ曲げられてしまった。名も知らぬ貴方は私のことなど知りもしない。けれど私はいまでも貴方の放った光によって苦しめられている。