heartbreaking.

中年の末路とその記録

「特別な存在」「何者でもない」に拘るのってもはや趣味の世界だよね。

近頃ずっと思っていたことを言います。10年以上前にブログやってた人は既視感覚えまくりだと思います最近流行ってる歌とか漫画とか色々に出てくる言葉達に……

たとえば「特別な存在」「何者でもない」とかよく使われてますが、俺からしてみれば、10年以上前にブログ界隈で使い古されていた言葉達が何故今頃、作中でよく使われているのか理由を知りたい。起源がどこかまでは知りません。

ちなみに「承認欲求」という言葉は、このブログでは2006年12月から使い始めている。

林修先生の「ことば検定」でよくあるパターンのように途中から意味が変わってくる、みたいなことになってるかもです。

スマホで何でも即座に検索できる便利な時代に、そんな過剰に自己を激しく問うことをしなくとも、大抵の悩みには「答え」が出ているではないですか。

若者が大きな挫折を味わう頻度も昔に比べたら大分減っていることでしょう。そんなぬるま湯の中であえて特別な存在とか何者かということについて考え続けますか。

「特別な存在」「何者でもない」に拘るのってもはや趣味の世界だよね。

生き死にに直面しているわけでもないのなら、中二病いつまで展開してんですかって感じで。

あと、なんのために生きるのか……と若い子には歌ってほしくはないです。叫びたいのは中年を過ぎてからですよ!

今日は自転車の学生に通りすがりざま「キモイ」という言葉を浴びせられた。そんな中年でも生きてゆくしかない。特別な存在でも何者でもない、ガラクタがいるだけだと知った。浮いたり沈んだりしながら、この退屈な道が始まっていた。時々、タンポポの種のようにふわふわとこの身の周りを舞う想い出たちを見つめている。もうこの人生は諦めたので最近はよく笑っている。