朝、仕事前に最新の音楽ニュースをいつも見ている。
ひたすら恋愛ソングを歌い続けているブレない aikoさんが「磁石」という新曲を出したと聞いてこう思った。恋愛ソングにネタが尽きそうで科学の分野を利用したいと考え始めているのか。聴いてみるとほぼいつも通りの aikoさんだったorz 磁石あんまし関係なさそうで簡単な言葉の羅列なのに意味を考えるほど妙に怖い。
ファンではないが、一個のことをやり続ける aikoさんは客観的に見てかっこいいと思った。
米津玄師さんに似たような声の歌聴くと、あー米津さんえらいようけ歌出しとるなと勘違いしてることが増えてきた。昨今の邦楽は画一的に聴こえるのでたまにおもいきりヘンな邦楽聴きたくなる。遡って筋肉少女隊の元祖 高木ブー伝説とか。風車男ルリヲとか。
自分ミッシェルガンエレファントのファンだったんで、喫煙者としてはベタなとこでスモーキン・ビリーとか。しわがれ声でギャーギャー歌ってる最近の若いのはミッシェルガンエレファントの劣化版に思えてしまう。
それと昭和から平成初期にかけて流行ったヴィジュアル系バンドのような語尾がトゥアー!ツアッ!てな感じの歌い方は、今の時代ではもう古いと思うのでよしてもらいたいです。リアルタイムにヴィジュアル系バンド応援してた者としては、想い出を馬鹿にされてるような気すらしています。
日本人の多くは宗教に属してないから精神的に成熟できていないのかもしれない。幼稚な歌詞が多い。海外はキリスト教を信仰する人が多いので宗教的な要素を取り込んだ高尚な歌詞をよく見る。同じロックアーティストであっても日本と海外では深淵を覗く深度が違っている。
slipknotが好きなんだけども例えば有名なサイコソシアルは歌詞カードの和訳読むと以下のような内容。
雨は全てを殺してしまう…
俺達は自ら壁に激突する
だけど誰も俺が自分の中にいる殉教者を
維持している事を分かっていない
<心理社会的>
(Psychosocial slipknot)
英語わからないので和訳読むしかないけど、あー日本のアーティストと違うなーと思うこと多くて、だからデスボイス部分だけを悪戯にヴオオオオーと真似たりするslipknotを意識したようなバンドがいるとなんとなく不快になる。真似しても中身がスカスカなら意味がないし、恋愛について歌うだけなら無駄にギャースカ騒ぐ必要なくて、一つの歌が最初から最後まで統一されたものを作ってくれないと結局何を伝えたいのかと疑問に思うだけで。
今の邦楽の流れはメインボーカルがいて、背景でちょいちょいラップを入れてくる人がいる。だいたい、しょーもない恋愛のことをうだうだ言ってるだけである。うだうだ、うじゃうじゃ、腐った野菜みたいな田舎臭いラッパーもどきを畑に全部埋めてしまえばいいのに。
人を楽しませるというのではなく、自分が気持ち良ければいいだけなのか、自分勝手なものが多い気がした。小学生の夏休みの自由研究のように、こんな作品作れちゃいました僕ちゃん凄いでしょなご披露にしか思えない昨今の邦楽がようけ混じり込みすぎていて、だから米津さんみたいなのが奇跡のように降臨すると皆そっちに手合わせて拝んでるのかな。だいたいの邦楽は音楽を生業にしないほうがいいような才能ない人ばかりじゃないんですか、そんなのを野放しにしていたのでは、そのラブソングうっせえんだよ!と歌で歌を批判したり、鬱陶しい!と思う人が徐々に増えてきても仕方ない。恋愛ではない歌かと思えば今度は人生を勝手にああだこうだと決めつける強い思い込みの鼓舞の仕方をしている歌もある。若造か小娘の人生観を無理やり聴かされて全然元気出てこない(なんか自分の中に一切入れないように見えない壁作っとかないといけない)。
比喩も邦楽では花を扱ったものが多い。そんなに普段から花なんか意識してないだろうに花を意識しているような歌い方をしてみたりする。突然、鳥になった気分で翼広げてみたり(この大空に翼を広げ飛んで行きたいよ。義務教育で習った、翼をくださいの歌の影響か)。仕舞いには宇宙人になってみたり、多様な喩えを用いてくるけど結局は恋愛のところに落ち着くのなら、もうそういう系 aikoさんに任せとけばよいんではないか。結局やってること皆同じなら代表で aikoさんがこれからは全部の恋愛ソング歌ってればいいだろ。声がよくのびて個性強くて歌上手だしな。