heartbreaking.

中年の末路とその記録

幸せな想い出を探してみよう

歳をとって感じていることは、色々馬鹿なことをやっておいてよかったのかもなということです。たとえば浮気相手とファミレスで4時間向かい合って微笑み合いながら過ごした、そんな記憶にいま生かされてます。抱き合った記憶は時間と共にその輪郭さえ薄れていっても、笑顔で一緒に過ごした……それだけでなにもやってない記憶は妙に鮮明で、それを思い出すと嬉しい。

甘いデザートを二人で注文して「私、幸せ♥」って素直に言えた、そしてその言葉に微笑み返してくれた、地球の中でいま二人以外の時間は止まっている気分を思い出し、あとひと踏ん張り(?)人生続けてかないとな……

しょーもなと思うようなこと、いやそれが重要なんですよ。

ひっぱりだす記憶はなるべく甘ぁく♥自分は確かに幸せだったのだといまでも実感できるものがいい。それを何度も何度も何度も頭の中で再生して、あー幸せだったんだって思い続けていたい。自分はそんなに不幸じゃないって思うことが大事だよ。

バツイチで子供もいない。非正規雇用で毎日同じ単調な作業をして、帰宅したらゲームするだけの中年ですけど、両想いになれたハッピーな想い出がある、それで頭の中のすべての枠を埋め尽くてしまいたい。

こんな風に過去の幸せ♥の大切さに気付いたのはつい最近です。別れの言葉も告げずに離れてしまうと、それを無かったかのように扱い記憶の中で振り切ってしまいたい時期があったのですがそこから抜け出したのかもです。

こんな話をしたのは普段は遠い昔の嫌な記憶にいまだになんとなく支配され続けているからです。だけど嫌な記憶からは、根本的には誰も助けることはできないので、そういったものは自分でなんとかするしかないと思いました。

嫌な記憶の出没する頻度を下げるために、没頭できる趣味を持つことや、他人からのマウントに誘発され起こる自己肯定感の減少を抑えるために様々な社会経験を積んで精神的に柔軟になっておくことが大切なのではないかと思った。

なんかしらあるはずなんで、幸せな想い出を探してみよう。記憶の中で真剣に探してそれを嫌な記憶と戦わせてみれば果たしてどっちが勝つかな。

幸せな想い出があるのにそれすら見つけられなくなるほど沈んでいる時は、嫌な記憶を極限まで隅っこまで運んでいきたい。それを毎日毎日繰り返す。

いまは運良く仕事にありつけているが、これがいつまで続くかわからんので、お金のない時、仕事のない時は頭の中が嫌な記憶で埋め尽くされて死んでしまいたくなるかもしれない。死んでしまったら、他人に都合よく変えられる可能性が……嘘が本当になり、本当が嘘になり、そんな世界を1秒でも阻止しよう、生きよう。有名人だって死んだら風化してしまう、一般人なんて最初からなんもなかったようになる。この命に意味を感じてるのは自分だけ、すべては自分のために。