heartbreaking.

中年の末路とその記録

個人ブログがオワコンなのはブロガー個々にも責任があるような気がしています……

個人ブログ氷河期なんですかね、全然人来ないです。お元気でお過ごしですか。

いきなり話しかけ口調で始めるのも結構勇気が必要になってきました。かつて月10万PVあったこのブログも先月は8,410PVとなり1/10以下となっています。ぶっちゃけ、いてもいなくてもどうでもいいわけです(そんな卑屈にならなくても……)。

どうしてこうなったのか。昨年5月のGoogleコアアプデはきっかけに過ぎないと思います。

皆が違う方角を見ていて、自分の趣味を発表して、それで終わっているとそれ以上広がりがなく閉じてゆく世界になります。繋がるならツイッターで気に入った人とだけ、そしてさらにブログは別物みたいな感覚。これでは個々が過疎ってゆくのも仕方がないと思います。

自分が属していたゆるやかな(はてなの)コミュニティがかつてあった気がしたんですが、綺麗さっぱり消えたような気がしています。その内の誰かが亡くなっていてもわからなくなるほどで、ネットの繋がりは不思議だなと思います。

他力本願で、自意識過剰で、だけどこの現状でもまだ「どうもないよ」と格好つけていたい。それじゃ人がいなくなって当然で……

自分から擦り寄っていかないと駄目だ。

気になるブロガーの記事末尾にスターを付けに行ってみるとか。自分が嫌われているなんて思わないで飛び出してみないと多分このままで終わる予感。

古い世代は分散し、新しい世代は古い世代に関心を特に持つこともない。その中での検索順位で個人ブログが上位になかなか来づらい現状です。

あと気になるのが、多くの人に憧れと尊敬の念を抱かれている、カリスマ的な魅力を持つブロガーが今現在特にいないように映っています。αブロガーという概念自体がなんだったのかと。

昔はfinalventさんがはてなの日記で末端のブロガーの意見を拾い上げていました。その人の持つ属性に関係なく一旦受け入れる、そういう懐の広い人がいないような気がしています。

末端まで目を向け、それを拾い上げる、カリスマブロガーの不在(か衰退)がより悲劇的な現状を作り上げていると思うのは私だけでしょうか。

個人ブログを救うのは、人と人との繋がりであると思っているので、ここは一つ、大きな懐でもって少しでも多くの意見を属性に関係なく、良いと思うものは良いと素直に評価できる自分であるといいなと思っています。

または「こんな良いブロガーがいるよ」という口コミが読者数を増やす場合もあります。

ツイッターのDMなどで「いまこのブログの文章が良い」等の紹介を受けることもあります。その人の文体が自分に合う・合わないはあると思うのですが一度はチャレンジしてみてもいいのではないか。

私はブロガー歴は長いのでブックマーク活動を通して大勢の人と積極的に関わりを持つことで輪を広げてゆける年齢に達しているはずなのですが、子供がいるいないにいつまでも拘っていてそれが原因でむしろ人を遠ざけている感じになっています。

先日ツイッターで知り合いに「ブログで本音を言いすぎじゃないか」との助言をいただきました(だから人に読まれない)。ブログは本音をぶつけるところだと思っていたのですが、時代がそうではないようです。

本音は人を傷付けることもあります。大きい苦しみを背負う人も、小さい苦しみしかない人でも、どんな人でも自分を否定されるようなことを言われると腹が立ちます。

人を否定するようなことをブログに書かない。これは意識すると出来ないこともないです、仮に下書き段階でそれを書いていたとしても投稿する前にその部分を消しておいたほうがよいのでそうします。

腹が立つとその人がどんなに良いことを言っていてもそれを理解しようという頭にはならなくなります。

この人はどうせろくなことを言わないという印象を一度持たれてしまうとそれを改め直してもらうことはかなり難しいような気がしています。それが私の現状です。

いずれにせよ現実をある程度きちんと生きていないとネットに依存して生きていると、その末路は悲惨だと思います。

ブログは反応が途絶えたらなにをモチヴェーションにしていったらいいのかわからなくなりがちです。

自分がとてつもなく無力なことに違いはありませんが、私の読者様にブログを通してこれからもなにか伝えてゆけたらいいなと思っています。