heartbreaking.

中年の末路とその記録

私は多分というかこのまま行くと確実に孤独死する

アマプラで映画観て、めちゃコミやRenta!で漫画読んで、夢中になってる間は楽しいけど、終わるか飽きて、次に移るまでの数日間の空白が次第に重くなってきた。一気につまらなくなって、近くにいる人に気持ちのズレを感じて不安定になったり、自分はだからそんなに幸せでないと気力を大分削がれていたり、一体なんのために仕事してるんだどうせ死ぬんだろとイラついてしまったり。とりあえず仕事は行くけど、平等に降り注いでくるのは太陽の光だけで、人々の間でやりかわされている会話はけして平等ではない。そういった渦中に遭遇してしまうとこちらの微笑みにも限度がくる。他人の吐いた言葉が自分にとって暴力に満ち溢れているようにおもえてならない、どんだけ寝返り打っても消えない。まるで一人で裁判しているみたいだ。こんな風に嫌な言葉ばかり頭の中から追い出す作業に追われていたら大切なことまで思いだしにくくなる。人生の中の楽しいことが1%で残りの99%が悲しいことなんじゃないかと空気に愚痴りたくなる。誰も聞いてないけど、お前が俺ならとっくに死んでいるだろうよとか、お前は運がいいだけだと言ってやりたくなる。頭ン中で正座させて24時間ずーっと説教だ。何回頭の中で暴力ふるったかわからない。拷問にかけたこともある。全部妄想だけどそうでもしなきゃやってられない。だけど結局自分には孤独死するんだろうなって現実しかない。それがこの世界の答えなんだ、この世界から負け犬とされてるような生き方しかできてない人間はとにかく真面目にやるだけじゃ駄目なんだ、テキトーにやってりゃいい程度の価値しかない世の中をいかに逆利用できるかを考えてくことのほうが重要なんだ。

いつでも選択できるところに楽しいことはあるとわかっているのに、それを選択できないで止まっている一人の部屋の時間がこれ以上苦しいものになるのなら、長く生きることはいまの時点で想像できぬほどの地獄なんだろう。

この間は名前入りの郵便物と、必死に勉強していた頃のノートを処分した。

名前の入った書類ほど鬱陶しい積み重なりはないので破り捨てていると、つまらないものにしがみついていた「捨てたい自分」が少しだけいなくなってくれて、片付いた棚を見て、この調子で、綺麗に消えてしまえるよう「死ぬ時の準備を」少しずつ進めてゆくことが大切であるような気がした……

昔勤めていた会社の先輩が「どうせ私は孤独死する」と言っていたのが今頃になって自分にのしかかってきて、その先輩に逢いたいとおもう。だんだん孤独死という言葉が覚悟に変わってくる。

嗚呼、孤独死すると誰かに宣言したくもなる、そりゃなる。

孤独である結末を「怖い」とおもう。それが心の穴なのかはわかない。