heartbreaking.

中年の末路とその記録

閉経を控えると悟りを開きだす

今朝はちょっと暗くなっていてこのブログの読者様を不快にさせてしまい、すみませんでした。

閉経が近くなり、色々な思いにそろそろケリをつける時がきてます。

結果として残ったのは、誰も私に子供を産ませてはくれなかったということです。お金がなくても子供を産むことはできます、国がある程度は支援してくれます。なんだかんだ尤もらしい理由をつけて中出しをしないのは男たちの身勝手な言い分に過ぎず、そこに本当の優しさはなかったという事実をいま真正面から受け入れています。

手遅れがくるとわかっていても誰もそれについて触れない。憎しみが心の奥からこみあげてきます。私が喜んでいるとでも?馬鹿にするな私はそんな陳腐な人間じゃない、そろそろお遊びはやめて、それ無しでは私に価値を見出せないなら貴方は人形を抱いている。

子供を作らぬセックスほど無意味で無価値でどうでもいいものはない(←デカ文字にしていたのですがスマホ時代にちょっとアクが強すぎるので標準文字に変えました)。それは女の内臓を傷付けているだけの暴力だ。私の体に触るな鬱陶しいと思う。私の乳首からはなんも出んわ、子宮はとっくに老化している、一体このカラダになんの用だ。

男達は勝手な理由を持ちだして、私に原因があるのだとそう思い込ませようとする。

せめて、こんな人生を自分だけは馬鹿にしたくない、どんな女に馬鹿にされてもだ。私は馬鹿にされることより、それによって自分の心が折れることをなにより怖れている。

だから子供のいるすべての女たちに対して常に誠実に対応することで、自分の強さを確認せねばならない。俯瞰したところから広い視野でとらえて彼女らに応援の言葉をかけてあげることでしか、私が子育てに関与できることなどないということに気付いたから。

私は、子育てをする主婦達を愛してみる努力をしている。但し、私のことを同じ女だと思うな……女でも男でもない、私はそれらを超越した存在となりつつあるのだ。それが子供のいないで閉経を迎える女しか開くことのできない究極の悟りなのだ。(後日、チョットこの記事は意見が強すぎたのでご不快なおもいをさせてしまったかもです)