heartbreaking.

中年の末路とその記録

少数者に対する気遣いは優しさではなく、仲間外れだと気付いた

腫れ物に触るような扱いをされるのってとても嫌なんですけど、そういうの望んでる人がいるんですかね。人に配慮されまくりの人生って、生きてて楽しいのかとおもう。配慮しろ!と言い続けて、実際に配慮されても疎外感はなくならないとおもう。

近年少数者の権利の主張が多いなあ、またか……と思うんだけど。人の数だけ不幸とか足りないものとかあって、一人一人の事情に世の中がいちいち配慮することなんて無理で、いつから我慢できない人が増えてしまったのか。テレホーダイ以前の世の中はそんな風に意見を言える場所などなかった。最近では親ガチャという言葉が流行っているが、親が優しくてメシが食えているならそれでいいんじゃないか。

性的少数者や精神疾患者などあんまり声でかいと、正直なんだこいつって思う。多様性とかなんとかいって価値観の広がりのように思わせるけど、もともとあったものにいちいち名前を付けているだけで、大多数にとってこれまで健全でないと否定されていたようなものを認めさせる無理ばかりを通すと誰も何も言えなくなってしまう。そんな世の中にして楽しいか。

同性愛はひっそりやるから美しいんだよ。人を愛することを周囲に認めさせる必要などないし、結婚式などやらなくてよい。そして精神疾患を持つ者は極端だと大坂なおみのようにそれを都合よく理由にしてなにからでも言い逃れないでほしい。黙っているだけで誰だって病院行けばなんらかの病名くらいは付く、そんなのは駄目だったことの理由にならない。

たとえば自分が世の中にある不満を抱いていてそのことに、周囲が気遣いをしてくるようになったらそれはそれでしんどい。そういう人なんだという目で見られて、対等であることを諦められてしまう。特別視されているので話も通じてない。気遣いされまくることによって生まれる孤独感と、理解されず傷付けられる苦しみとを天秤にかけても、後者のほうがまだいいです。実社会では、自分の事情を察知されないで生きるほうが気がらくなことも多いので必要以上に弱点に気付かせたくない。

最近、子供のいる主婦が、私のいる場所で子供の話を避けていることに気付いたので、あんまり気ィ遣わんといてくださいって感じだった。腫れ物に触るように気ィ遣われるのもそんなにいいもんでもない。誰も本当の笑顔を向けてくれなくなったらおしまいなので実社会では性的少数者や精神疾患者、あるいは独身であり続けることなどを隠して生きるほうが、対等で良い人付き合いができるとおもう。