heartbreaking.

中年の末路とその記録

家賃は少々高く感じても払うことは無駄ではない

ホアキンフェニックスの「ジョーカー」は弱者に救いの手を差し伸べない権力者に対する抵抗を描いていた。その怒りは長い年月の中で熟成された怒り、放つ弾丸一発に重みがあった。今、日本でジョーカーと言われる人々はこの映画の主人公のように暴力を受けたことがあるのかどうか。

……寒いねえ。寒いと心まで寒くなる。こんな時に家のない人達はどうしているのだろう。俺は家があってよかった。それはどんな家でもいい。まず屋根が付いている、当たり前だけどそれが大事だ。いつでも温かいお湯がでる、それも大事だ。

家賃は俺にとっては高い。いくら稼いでも家賃はかなりの比率を占めている。稼ぎの少ない月は給料の半分が家賃になる。実家に暮らしたらいいとおもうこともある。だけど家賃が高くてもそれを払う価値はある。

人間にとって大事なことはまず家があることだ。高価な家具はなくったっていい。俺以外誰もいなくたっていい。帰れる場所がある、それがどんなに素晴らしいことか。

雨を防げる。冷たい風が直接肌に吹き付けることもない。壁があって、ドアがあって、屋根がある。そこに住んでいる。ここは紛れもなく俺の家だ。

何年もかけて必要なものだけで埋め尽くされていった家の中ほど居心地いい場所は他にない。くたびれたベッドの寝心地も、破れたソファも、歴史を感じていまは愛着しかない。

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クマのパディントンは家を求めてロンドンにやってきましたが、前途多難、ようやく泊めてもらえた親切な人の家の屋根裏で今後を案じているのでした。

当たり前のことが、当たり前でなくなった日、どんなに不安におもうことだろう。そして今まで当たり前だったことを取り戻すために、どれほどの苦労を強いられるのだろう。

たとえば一人で旅にでたとき、それがあまり計画的な旅ではなかった場合、少し近いような状況になることがある。スマホのない時代、なにもわからない土地で電車に乗り遅れてしまうことがあった。駅のホームに屋根はあるけれど、それだけでは不安だった、誰もが無関心だとおもった。そんなとき危険な方向へ足が向いてしまうことが多い。駅を出て少し歩くと街灯もない真っ暗闇に着いていた。あまり治安が良さそうには感じられない闇の中を最後は走っていた。遠くのほうで暴走族の気配がしていたことも、家の中では大丈夫だが自分が外に出ていると怖かった。

それが旅の間だけでなく、いつかずっと続く暗い未来だったとしたら。そこまで考えて、それ以上は想像でしかないので終わりにした。壁もドアもなく外に放り出されたままの状況であっては強く生きられない、だからホームレスなど到底無理だ。外にむき出しでいると、攻撃してくるのは誰かもわからないので怖すぎる。

家がある。そのことがどんなにかけがえのないことであるかがわかると、少々高い家賃でも払うことが無駄だとはおもわない。もっと安い賃貸を、とネットでぐぐってしまうことはあるが、なんとかギリギリでも払える状態なら、今ある住環境に愛着を持つことで、これを守れるだけでも、充分凄いんじゃないかなとおもう。

温かなコーヒーならポットがあればいつでも飲める。こんな日が続けばいい。住居確保給付金については知ってますがそこまで困ってないので利用してません。