ネットで過去のいじめ被害を打ち明ける人が増えてきたのはいじめ抑止のための良い傾向です。できるだけ多くの人に自分の被害について知ってもらうことは、自身が苦しみから立ち直るために必要な過程だ。勇気がいるけれど、命の炎を燃やして暴露すればいい。但しそのことによって心なき者から受ける二次被害に屈しない覚悟は必要だ。想像の及ばないことについては考えることを放棄したいと考える人も多いからだ。そして加害者の肩を持つ同類がネットにも存在していることに注意しなければならない。
肉体に加えられる暴力だったり、尊厳を踏みにじられる酷い言葉だったり。いじめ、虐待、子供時代に受けた傷は、大人になっても癒えることはない。人生を左右するほど重い。ほんのわずか目を逸らした隙にすべての希望は奪い去られる。声にならない言葉にどれだけ耳を傾けているか、見過ごしたままでは純白の羽を心なき者に無残に引き千切られもう二度と飛ぶこともできなくなる。 悲劇はいつでも死角から訪れる、誰かの大切な刻を奪うため影を潜めて狙っている畜生共は何処にでもいる。 すべての子供たちが同じように子供のままだとは思わないことだ。子供たちのかすかな「異変」に気付くことから始めねばならない。
不幸にもいじめや虐待を受けていたとしても、その場合も希望を捨ててはならない、命を絶たないでほしい。長く生きればいつかその事実すらも、自身を構成する重要な一部であると捉え、客観的な視点によって我が人生を総評価できるようになる。あの痛みがあったからこそ、今の私になれたのであると力強くこの存在を肯定できる日が来る。