heartbreaking.

中年の末路とその記録

病院のロビーや待合スペースは時として拷問部屋に変わる場合もある

多様性を認める世の中であるのに、病院のロビーや待合スペースはその個々の特殊な事情に寄り添っているとは到底思えていない。弱っている共通点だけで全部の属性を一箇所に集結させるのはあまりにも暴力的すぎると思っているのは私だけかな……

私は怪我をして病院通いをしているが体の不調を治しに来ているはずなのに、出る頃には心まで病んでしまっていることがある。 特に大病院に罹ることになると事前に予約を入れても処方箋を受け取るまで何時間もロビーや待合スペースに座っていなければならない。では小さな病院であればよいかというとそういうわけでもない、その分他人との距離が近くなるのでより強い災難を受けてしまう可能性がある。

病気や怪我をするとそれが自身の問題であれば悲しくて暗くなる。近親者の付き添いであると時間をとられて煩わしくもある。そうした負の感情を自身の中に抑え込める人と、そうでなく言葉や態度で発露してしまう人との間に、断崖絶壁ほどの溝ができてそれがコンクリートの空間内に閉じ込められてしまう。

心が鈍感になれればよいけれど病気や怪我で不安ごとが多いと敏感になってしまう。そんな状態で私のような高齢独身で子供もいない者は(すべての人がそうとは限らないかもしれないが)病院の待合室が内なる孤独感を増幅させる拷問部屋へと変わることもある。

原因は人の声の雑音が不快だったり、境遇の差を感じる人が近くで二人以上並んでいる光景を今は見たくない拒絶心だったり。だけど処方箋を受け取るまでトイレ以外に逃げることも難しくまたテレビが置いてあっても気は逸らせない。この存在を否定された状態を維持されている限り道化師の状態を抜け出せない。

病院は様々な属性の人々が集まる。病気や怪我を治すために来ているので余計なことを言わず黙って順番を待てばいい。二人以上で来ていても周りを見て、それは出来ないことではない。不必要な会話を周囲に聞かせる必要などまったくない。

あんたは私の近くに座らないでくれ、と思うような人に限ってすぐ近くに座ってくる。今さら自分が席を移動するのもここまで近くに座られてて挙動が怪しい。病院に入ったが最後そこにとどまる限りその不快を避けることができない。それは入院する際に相部屋になってしまった場合でも発生する。自分には見舞いにくる人がいない、なのに目に入る人は家族が見舞いに来ているなど……孤独な人は介護施設に入る場合にも将来的に避けようのない問題。

だからなるべく病院に罹ることのないよう普段から健康には気を付けていたいがそれでも近親者に病院通いをせねばならない者が発生した場合にはいずれは行かねばならなくなる。将来的にもおそらく避けようのない問題なので、無駄に心を病まずに病院のロビーや待合スペースで過ごせる方法を考えてほしい。

提案としては、会話を控えてくださいという旨の張り紙をするか、もしくは他人との関わりを今は拒絶したい人用のスペースを別に確保すればよい。それは心療内科や精神科なら尚更必要。心を治しに行って心をさらに病んで帰るようなことはあってはならない。

以下は、以前記事にした「ラッキー」という洋画で、主人公がその時点では深入りさせたくない相手に対し放つ一言です。私はこの言葉が好きです、再び貼らせていただきます。

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