今日は近頃のネットについての私感です。
「改正プロバイダ責任制限法」が施行されました。
これに対しては懐疑的です。
バカ、ボケ、〇ね、だけの言葉を誹謗中傷とは思わないです。そういうのは、論理的に批判できない哀れな人が放つだけです。放っておいてもあんまり害はないです。
対して、論理的思考が出来る人の面倒くさい意見の中身を理解しないで、それを誹謗中傷と捉える思慮の浅い人が増えないかと心配です。
何処まで意見を述べてよいのか判断が難しいネットになりました。
面白い意見は毒を持っています、だから批判を怖れ聖人君子のようでいてはつまらないです。
単なる誹謗中傷なのか、それとも考えあっての批判なのか、この違いを混同してはいけないです。
庶民の正直な意見や批判は、権威ある人に間違いを気付かせることができます。政府が遠回しに抑止効果を狙っているのかと疑います。
意見を述べることには責任が伴うことを忘れてはいけません。
例えば政治家が自身のツイッターで一般人の意見を表示させないのは、批判を受け入れる覚悟が足りない証拠です。そのような人は信用に値しません。
かつてネットでは匿名で活動する人が多かったです。
匿名の範囲内で行われる議論すら、意見の相違から相手の個人情報を突き止めどうにかする、殺害まで至るケースがあったかとおもいます。
誰かの信念を折り曲げても、自身の意見を通そうとすることは命をかけた戦いです。
人の価値観を踏み潰しても伝えたい重要な意見があるなら、例え批判者には伝わらなくとも自身が納得できる理論で武装する必要があります。その準備と心構えの出来ていない人は、ただ批判だけを怖れます。つまらないことで訴えようとするのです。
余程致命的な傷を負わない限り、批判者に対してもある程度寛容でなければなりません。それが言論の自由です。
問題であるのは例えば爆サイ.comに、ネット活動をしていない個人の情報を逆恨みから勝手に書き込む類のものです。
しかし例えば対象が自身の自撮りを自己判断でアップロードし、そこに容姿への誹謗中傷が付いた程度でいちいち訴訟を起こす前に、まず自身の個人情報の管理が甘い点を反省すべきです。芸能人などもそうです。
誰もが好意的に受け止めてくれる前提でアップロードしているからそうなる。
議論する力を持たない人は、別に見たくないものを偶然見ただけかもしれないので、もしかしたらこっちのほうがかわいそうかもです。
私はこれまで掲示板で個人情報にまで踏み入った中傷受けてましたが、今のところ問題なく生活出来ているので遡って訴えないです(遡れるのかどうかは知らないです)。
相手も悪人かもしれない、でも、意見を述べた私が悪いので仕方がない。
自分も悪いのだというところに気付くのは難しいですが、大抵のことは理由を作ったのは自分です。何もしていなければ何も起こらなかったと思います。
意見を述べることがどれだけの責任を伴うことなのか、そして人を傷付けているのか、もし世を変えたいなら覚悟が必要です。その覚悟を持たずして今後、「改正プロバイダ責任制限法」の抑止力の下に好き放題する人が増えるほうが危険だとおもいます。
「改正プロバイダ責任制限法」は中傷を受ける企業向けの法律でしょうか。個人では忙しいのでまだまだ手が回りません。「わかりやすく」で検索しても弁護士の金儲けサイトでは親切に教えると商売にならないので何言ってるかわかんないです。