今の人と付き合い出した頃、夜勤で疲れて寝ている時に遊びに来るので鍵を手渡して外で時間を潰してもらうことがあった。その油断が後々私を悩ますことになった。よく寝て、目が覚めると彼がいて鍵を返してくれるのだが、合鍵を作るには十分な時間があった…まさかな、と疑いつつ今まで言い出せず、一人で、ことあるごとに悩むことになった。
アパマンの賃貸マンションではオーナーもマスターキーを持たずすべての鍵を入居者に渡す代わりに自分で合鍵を作ることも、鍵屋に頼んで別のものに勝手に付け替えることも禁じている(付け替えた場合は自費で元に戻す必要がある)。
不安なので室内ドアに補助鍵を付けることにした。私はかなり神経質な人間なので、仮に合鍵を渡すなら、私と同じようにドアノブを20回以上ガチャガチャして本当に鍵が締まっているか確認してくれる人でないとならない。本当に自分が鍵を持っているのかどうか数分、数十分置きに手元を確認してくれる人でないとならない。彼は鍵の扱いにかなりルーズで、テキトーにポケットに鍵を突っ込んではよく無くすいい加減さで内心呆れる。こんな人に私の合鍵を持つことを許すはずない。合鍵を渡すなら、私と寸分違わず同じ人間でなくてはならない。私は囲われている愛人でもなければ風俗嬢でもない、自分で金を払い、嫌がる親を説得しようやく「連帯保証人」になってもらいここに入居している。常識ないと思ったのが、私が社宅付きの求人情報を探している最中に、もしここの部屋をしばらく使わないなら彼が事務所として使用すると言い出したのだ。この部屋は私と親が「連帯保証人」という血よりも濃い契約を交わして手に入れたものだ。信用がどれ程大事かってことがわかってない。このことも結局伝えられず、微細な不信感が私の中に蓄積していった。彼は金以外にも存在する信用を軽く考えている。車に関してもそうだ。今は彼は自分で車を所持しているが、最初の頃、私が苦労してローン返済中の車を運転させたり貸すことがものすごく私のストレスだった。人に車を運転させるのは嫌なものだ、ヘンな癖をつけられても困る。ある日、タイヤがパンクしていることに気付いた時に駐車場の縁石がいつもの場所から大きく後退していて不信感を抱いた。いつも同じところに駐車する私が縁石にぶつけることはあり得ない、まさかと思いつつ、これも聞けなかった。
毎日電話をしている。毎日電話をしていると話すことがなくなってくる。多くなってくるのは仕事の話だが、私が度々失業している時は話が決裂しやすい。彼は私にゆっくりと探せばいいと言いながら、私が傷付くリアクションをとることが多い。彼は貯金があるので金銭面では余裕があるようだが、私は借金があるので余裕がまったくない。彼は私の借金の額、200万前後をかなり軽く見ていて、しかもこのこと自体を見下している。それは言葉の節々から冷たさが感じられる。その程度の額で?と真面目に利息を払う人間を見て楽しんでいるのだ。
どの男も不幸そうな私の心を奥底で踏みにじっている。彼らは善人な面も持ち合わせているが、根底にあるのは、不幸な女を、傍に置いて、それが死なない程度に救いの手を差し伸べて、自尊心を満たしたいだけなのだ。
毎日電話をするのは私の生活が順調な時はいいのだが、不調な時は「何でこんな時に、話さなければならないのだ」と話すことも嫌になる。1日電話をせずに疲れて寝ていたら、彼が気になることを言った。私が2日以上音信不通の時は部屋の鍵を開けてもらって生存確認すると言ったのだ。一人暮らしの私が自殺などしていないか心配してくれるのは有難いのだが、…だが、鍵を開けてもらうって、籍も入れてない他人が誰にどうやって開けさせるつもりなんだ。それを自信のある口調で話すのが気になった。彼はこの部屋に入れる自信を持っている。まさかあの時合鍵を作っているんじゃないだろうな。そうなってくると、彼の冗談か本気かもわからない発言の数々が不安を煽ってくる。気に入らない時、私の愛車をひっくり返しにくるんじゃないかと怯えた私はベランダに出て駐車場の様子を確認するようになった。
……
些細なことがきっかけで、ここまで疑ってしまったことを、彼に悪いと思わないわけではない。弁当食う時いつも私の分の箸を袋から出してくれる彼を、マックの私の分のコーラにストローを刺してくれる彼を、こんなに悪く思うことがある私をもし彼が知ったなら、きっと幻滅するだろう。人を信用することはなんて難しいんだ。彼の社会復帰を応援したいのだが、闇の世界で生きてきた中で培われたその常識は私には到底受け入れられないことが多く、度々葛藤してきた。別れた夫にはこんな悩みを抱えることはなかった。当たり前の常識のある世界で生きてきた人間が、元ヤクザや刑務所上がりの人間と、真に信じあうためにはどうやら想像を絶する時間が必要なようだ。