heartbreaking.

中年の末路とその記録

猫のようでいたい

自分はメンヘラなのかな。ネットの診断が大体当てはまる。

ドアを開けた時、笑顔かどうかで決めようと思ってた。

来るまでの30分が異様に長く感じた。

不安に思いながらドアをそっと開けると彼が「よお」と手土産持って笑顔で入ってきた。「心配したぞ、いくら電話しても出んのでもうこのまま二度と逢えないのかとおもっていた」「〇〇!〇〇!」私の名前をまるで一押しアイドルを応援しているように連呼しながら上着を脱ぎ、コロナ禍なので手を洗っていた。……いつも通りだな。ベッドの淵に静かに座ると少し寂しそうな笑顔でこっちを見た。
「まあ座れよ。俺の家じゃないけど」
そうだ、お前の家じゃないと私は思った。
それから彼は余計なことは言わず「いつも通り」を貫いていた。
好きな人に避けられた時、なんともないふりをしていつも通り振る舞うことがどれほど難しいことか知っている。
昔の初恋を彼の中に見ているようでそんな風に悲しませてしまって悪かったと思う。
彼は私を見て安心したのか急に立ち上がると「元気そうで安心したぞ」と抱き着いてくるので困った。本当に嬉しがっているのがわかった。たった2日電話に出なかっただけだぞ…
抱き返せばいいんだけど、自分が何処か不真面目である気がして無理だった。

世の中にはたくさんの男と女とそれ以外がいるので、一人に縛られることはないのに、それでも同じほうを向いてしまうのは何故だろう。

人生で燃え尽きる恋をするのは一度で、燃えたが諦める恋が二度目だった。それ以降は誰も追いかけなくなっていた。追いかけなくなると、誰かが追いかけてくる。根本の部分で誠実さに欠いているような自分になった。こんな風に、猫みたいに気紛れなほうが人に愛されやすいんだなということがわかった。

追いかけるよりは、追いかけられていたい。まるでアイドル歌手のように。年齢など関係なかった。追いかけあいこをしている限り二人の時だけは止まっている。
それがなんて綺麗なんだ、ってことに彼は気付かせてくれる。

彼がどれだけ潔白な人間であるかを今夜は話したい。

どの男もいつかはフェラチオを女に強要するのだと思っていたがそれを彼は断ってくる。終わった後も精液の付いたティッシュをお前の家のゴミ箱に捨ててもいいのかと必ず尋ねてくる。
大抵の男は私の部屋に来るといきなりベッドにドカーンと寝転がるものだが(それはそれで大胆でイイのだが)彼だけは違っていた。礼儀正しい男でベッドの淵に控えめに座っている。そして私がベッドの真ん中に寝ている時、彼は落ちそうなくらい隅の方に身をかがめて無理な態勢を我慢している。どれほど苦労して生きてきたのだろうと思う。私が疲れている時は「しんどいんだろ、休め」と私の体をベッドの中心へ追いやり、あくまで自分は隅にいるので、これが愛か…と感動することはある。

彼は闇の世界を歩いて来ただけで女遊びはほとんどしていないことを私は気付いていた。硬派なやつに違いない…そのことは抱かれていてなんとなくわかる。ろくでもない男は妻子がいても独身女の後頭部を掴んで喉の奥へアレを押し込むものだ、世の中はそんな穢れた遺伝子が蔓延している。
私はだんだん知ることになった、普通の恋をすることを彼が一番取り戻したいものだと。性欲が減退しているので彼の希望に答えられなくなっているが、不器用さの中にある寂しさに気付く度その夢を叶えなくてはならないと責任を感じている。
二人で居る時は無邪気な少年のような笑顔だ。そして私は初恋に燃えた10代の自分の綺麗な心を、彼の素直さの中に何度も思い出す。

彼が合鍵を勝手に作っているかどうかということはまだ確認していないが、もうどちらでもいいというか、鍵屋は数分でどのドアも開けてしまうのにそんなことを気に病んでも仕方がないので。結論から言うと彼はいまはもう「悪い人」ではなくなっているので信じてみようと思った。