heartbreaking.

中年の末路とその記録

生きることを諦めるな

このカテゴリーで子供がいないことについて長年語ってきました。私が50年近く生きてきた中で気が付いたことを思うまま話したいと思います。

独りでいて、それが寂しいとか、つらいとか…そういう風に思わない。周囲や社会との繋がりがなければ、独りでいるのが当たり前だと思えるし、それについて悩む必要もない。子供が欲しいかどうかということもそれと同じで社会からの干渉がなければ私は別に欲しいとは思わない。

随分、周囲に流されているなと感じることは多い。みんなが当たり前だと思うこと、それが自分にとって当たり前ではない、私はこれでいい…これが私にとっての当たり前なんだ。そのことに気付いたのが、白髪が目立ち始めたこの頃です。

誰の生き方も参考にならないし、自分には関係ない。ただ自分のことだけは肯定し続けようと思った。

若い頃、誰かの幸せを見て、嫉妬が怒りに変わった私はインターネットを使って子連れの方々をよく批判もしていた。そんなことをしても何も変わりはしなかった。

社会不適合者なんかじゃない、何かに怒りを感じるたび「私は社会不適合者で、外に出てはいけない部類の人間なんじゃないか」と自分をたしなめることも多いが、それも周囲に騙されて、そう思わされているだけかもしれない。いや、そうなのだろう。

生きていける、誰にもわかってもらえなくても。

自分が本当に欲しいもの、それは子供ではない、別のものの気がしてきている今は。

それで、子供のことは諦めるしかない年齢なので、諦めるし、誰かにいちいち嫉妬のエネルギー燃やすのも疲れたのでそれもあんまないですが、自分が常々悩んでいるのは、性格の問題です。性格はどちらかの親のものを確実に受け継いでいます。だから自分の血を受け継いだ我が子が誕生していたら世間に迷惑かけていたかもしれない。まあ、お金はないです。お金もないし、力もないし~川崎鷹也さんの歌を歌いたくなりますが、君のこと守りたいんだ~と思うような気持ちすら起こりにくくなってます……今、政治家が議論し合ってる少子化対策なんて、私のような人間は完全に蚊帳の外で正直悲しいです。これ以上怒りを燃やす気力もなく、見捨てられた人々を素通りし世の中がどこへ向かってゆこうとしているのかそれを見守ることしかできません。

子供ができること、それは個人の問題です。国のために子供を産もうなんて思う人はいないと思うんです…

そして、自分の気持ちを受け止めてくれる異性を見つけることが難しいです。

さらにその異性が協力的でなければなにもかも上手くいかなくなります。

なんか政治家が議論しているのは機械的で、女は感情もなく、恵まれた肉体で、母性があり、マシーンのようにただ子供を産んでくれる便利な存在なわけではない。金だけ投げてそれで解決するわけではない、人間の、個々の生まれ育った環境の、幼少期の体験の、そして肉体が問題なくそれを実行するために機能するかどうかという部分を素通りしている。例えば親が離婚したりしているのを幼少期に目の当たりにしていると結婚する意欲が失せるという話も聞いたことがあります。個々の事情を面倒くさいと、聞きもせず、ただ自分の暴力的意見だけを浴びせる今のインターネットはあまりよくないですね(お前が言うなですか、ハハッ、そうですね)

男も女も、子供を産めない体の人だっています。インターネットにはいつでもどこでも、そうした運命を持つ人々に頭上から大きな石を一方的にぶつけてくる意見が意地悪にまぎれている。言葉を使った人殺しをヘーキで行っている。

どうしても人は生きている限りどこかで人を傷つけてしまうんです。それを防ぐことはできないです。ただ、そこに存在しているだけで、誰かを傷付けることだってあるんです。

子供を作りたい人は作ればいいんです、だけど、子供を作れない事情のある人もこの世にはいてその人たちは透明人間なんかではなくきちんと感情を持った人間なのだということも忘れないで欲しいです。

さあて、独りで生きて誰にも看取られずこの世から消える覚悟できてますか。

夜な夜な考えるんですよ...この間、大切にしていたハムスターが寿命で死んでしまって、ハムちゃんはどこへ行ってしまったのだろうなって。それについてはまた今度詳しく話したいのですけど、自分は?自分はもう、誰も悲しんでくれる人もいないんだろうか。まあそれもいいんじゃないか。今は諦めつくようになってきた。

別に、誰かに墓参りしてもらいたいわけじゃない、死んだら消えるだけなんで、後のことは知らない。消えたら、もうその後のことなんかどうでもいい。あとは、どこまで粘って生きれるか、生き延びれるか、サバイバルだよ。