heartbreaking.

中年の末路とその記録

小さな命のきらめき

キンクマハムスターのハム助は2023年3月11日永眠しました。(真剣にオクラを食う姿)元気な姿はこの「癒し」カテゴリーにあります。

亡くなる一週間前は毛並みもよく自力でトイレに歩いて行っていたので「もう少しで春だよ。今年の夏も一緒に過ごそうね」と話しかけていたところでしたが冬の寒さの中に春の暖かさの兆しがあらわれはじめたときにみるみる衰弱してゆき、小屋からトイレに行く直線状でひっくり返ったまま自力で起き上がれなくなっているのをみて「うわーハム助くんがああああ」って慌てました。何度起こしてもひっくり返るので安全な場所に横にさせるとそのまま寝たきり状態となってしまいました。両目が開かなくなり、ただ息をしているだけでした。老衰かなと推測するのですが、わかりづらい病気を見過ごしていたとしたら私の管理不足です(腫瘍はなさそうだし外見では不明)。

大分経つのでようやく気持ちの整理がついてきたのですが、毎日煙草を吸いながら思い出すのはハム助のことで「もっと外で遊ばせてあげればよかった」という後悔がほとんどです。

3月9日。食べることもできないのに息だけはしているので、「がんばれ、がんばれ」と応援し続けおでこを撫でてあげたりしましたが、3月11日仕事から帰るとカチカチに硬くなってました。休日前の土曜の夜に亡くなったので、選択肢はいくつかありましたがかわいそうな姿をあまり長く見ていられませんでした。淡々と作業をしている気分でした。息をしていないのを確認し、綺麗な箱におやつと一緒に寝かせてハム助の死体を助手席に乗せて真夜中に軽四で走り出していました。行先は海しか浮かばなかったです。引き潮の穏やかな海でお別れしました。「ありがとう」と言いながら箱を投げたあと、それがハム助が望んでいたことなのかどうかと問いました。もう泳いでいって取り返すことができない。自分はなんてことをしたのだ。涙が出てきたのはその1週間後でした。

そのあとも思い出すたび涙が出てきて「外に出たかったんだよな。散歩が足りてなくてごめん」と謝った。外にはコードとか巻きたばこの葉っぱとかネギとか危険がいっぱいだからと過保護になりすぎて、ハム助の冒険心を満たすことを怠ってしまったことへの反省です。

自分にこんな優しい心があったのかと確認したくて泣いてるだけか微妙なラインでしたがハム助を愛する気持ちは純度100%です。人間が死んでも涙の一粒も出ないのに、小さな命の消滅にとにかく止まりませんでした。こんな時はー涙腺コルクでギュッ。

2020年7月初めにダイキで出会い連れてきた子でした。約2年8カ月の間、私が無職でつらいときも傍でチョロチョロ動いて元気付けてくれました。店にいた期間を考えるとおそらく2年9カ月位は生きたんだろうと思います。それでも3年には満たない。私がこの小さな命のために最善を尽くしたと言える自信がないので、新しい生き物を飼おうという気分には辿り着けそうにない。

ハム助に4回目の夏を過ごさせてやれなかったこの反省を、では新しいハムスターを迎え入れてその子で活かすとかそういう考えにもならないです。代わりはいないからです、唯一無二のきらめきでした。

私自身は40歳を超えた頃から3年などあっという間の感覚で生きてましたが、ハム助が一緒にいてくれた2年8カ月のことはわりと長く感じている。

仕事がすぐに見つからず、これからどうするんだと膝を抱えてうなだれている時、傍にいたハム助に誰にも言えない弱音を吐いていました。「もう駄目かもしれない…こんな情けない飼い主でごめんな」と言いながら。そんなときもハム助は(当たり前だけど)動いていたので、くじけてばかりいられない頑張らなきゃならないと立ち上がり再び歩き出せました。

懐いていたのかどうかは不明ですが夜中に脱走したときは名前を何度も呼んだら必ず目に入る場所まで出てきておとなしくつかまってくれたのであまり手のかからない子でした。

グルメでしょっちゅう好みが変わるのでモヤシ・キャベツ・小松菜・トウモロコシ・ブロッコリー・かぼちゃ・さつまいも・豆腐などを飽きないようにローテーションで与えていました。私自身は野菜を食べないので冷蔵庫にいつも野菜が余っていました。ハム助が亡くなってしばらくはスーパーに入るのが虚しいときがありました。もういないのにハム助に食べさせる野菜の前に立っていたことが多いです。

空気のように当たり前のようにそこに居てくれる、言葉をしゃべらない小さなお友達という感じでした。

これはTwitterをしていた頃に紹介した写真ですが、最後の夏に一度だけクーラーを付けずにでかけてしまった日の姿で気に入ってます。